ばらばら

世界はひとつになれない そのままどこかにいこう

”煙草吸ってたっけ?”に対する返しについて

私は喫煙者だ。
20歳(ということにしておく)のときから、たばこを吸いはじめてかれこれ十数年である。
煙草をやめようと思ったことは今まで一度もない、身体を悪くしたときを除いて。

そこで問題がひとつ。
”煙草吸ってたっけ?”問題である。

確かにヘビースモーカーとかチェーンスモーカーというほどの愛煙家ではない。
自分のポリシー上、仕事中は、なにか煮詰まったり、誘われたりしない限り極力煙草を吸いに行きたくない。
厄介ごとに巻き込まれたり、変な仕事が飛び込んでくる可能性があるからだ。
嫌煙家の前でわざわざ吸うのも気が引けるし、非喫煙者を待たせるのもまた、だ。
最近では飲み屋や喫茶店も完全禁煙の店が多く、誰かといるときに煙草を吸う機会がめっきり減った。

ということは、である。
ここ最近、人前で煙草を吸う機会が確かに少ないのである。
「人前喫煙童貞」なのだ。
いや、流石に童貞は言いすぎた。

いまだに”あれ、煙草吸ってたっけ?”に対する秀逸な返しを思いついていない。
もしかしたら、こんなことがきっかけで、禁煙を始められるかもしれない。

 

いや、無理か。

"ばらばら"について

ブログタイトル"ばらばら"について。

2007年4月に発売された星野源氏のCDフォトブック「ばらばら」にちなんでいる。
CDには同名の曲も収録されている。

ばらばら(CD付)

ばらばら(CD付)

 

 

発表から10数年経つが今でもよく聴く大好きな曲である。

世界はひとつじゃない

ああ そのまま ばらばらのまま

世界はひとつになれない

そのまま どこかにいこう

よく「世界はひとつ」というフレーズを耳にするが、果たしてそうだろうか。

人と人とは完全にわかり合うことなんてできない、「ばらばらのまま」。
だけどそんな後ろ向きなことも、この曲を聴いているとよしとできる気さえする。
決して前向きに歌っているわけではないフレーズも星野源氏が不思議とよしとしてくれる。

世界はひとつじゃない

ああ そのまま重なりあって

世界はひとつになれない

そのまま どこかにいこう

そんな”ばらばら”な状態に自分自身苦しめられ、自分を傷つけ、人を傷つけてきた。
「重なりあって」も「ばらばら」のまま、ちょっと前向きになってきた。
他人を受け入れたり、認め合ったりするのにこのメンタリティはすごく大事だなと感じる。

「ばらばらのままでいい」
このことを認めることができたのならどれだけ楽だったのかなと思う。
わかっていても譲れないこと、思っていても衝突すること。
そんな状態で「世界はひとつ」になるわけもなく、”ばらばら”は「世界はひとつ」という論調に対するアンチテーゼで、よっぽど平和的な考えなのかもしれない。

 

ばらばら

ばらばら

  • provided courtesy of iTunes

 

 

lucky day

今日は"lucky day"らしい。

どうやら、「この日に蒔いた1粒の籾が何倍にもなって実る稲穂になる」と言われる”一粒万倍日”と「この日に百神が天に昇り、天が万物の罪をゆるす日」とされている”天赦日”が重なる日らしい。

さらには”甲子の日”という「金運や商売繁盛に縁起がいい吉日」と、「天の恩恵をすべての人が受ける日」とされる”天恩日”も重なっているらしく、とてつもなく縁起の良い日らしい。

今日もあと1時間弱、風呂に入って寝ようと考えていたが、そんなことを知ってしまった。
本当は財布を買い替えたりするのが良いらしいが、この時間からそうもいかず、何か新しいことを始めようと、開設したものの放置していたブログを書いている。

本格的にブログを書くのは多分はじめて。
ちなみに本格的ではない且つ、死んでも読み返したくないブログはおそらく10年近く前にmi○iで書いていた(笑)

興味のあることは結構長続きするタイプの人間だが、ブログは果たして・・・

 

また生きた。